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ブルックナー交響曲第8番の名演!これぞ重厚長大で圧倒的!

      2023/01/23

ブルックナーの交響曲「全11曲」の中でも、この大曲を最高峰に位置付けする熱狂的なブルックナー信奉者が多い交響曲第8番。

堂々たる大伽藍(だいがらん)を仰ぎ見るかの如く、その重厚かつ偉大なる風格はクラシック音楽界の名だたる交響曲を見渡す中においても、格別かつ別格の存在感を解き放っています。


全曲の演奏時間は、ゆうに1時間を超える大曲であり、1楽章だけでも指揮者によっては30分程度を要します。

今回は、そんなブルックナー交響曲第8番の第4楽章を、一度じっくりと腰を据えて聴いてみましょう!

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ブルックナー作曲/交響曲第8番

下の動画は、今は亡き帝王ヘルベルト・フォン・カラヤン氏とウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。

カラヤン氏は、クラシックファンならずとも圧倒的知名度を誇る偉大なるマエストロ(クラシック界で指揮者に対し敬意を評する呼称)ですね。

生存中に膨大な録音を残したがために、評論家の一部からは「商業主義」だとか「神聖なるクラシック音楽を貶めた(おとしめた)」などなど、酷評を極めるメディアも存在したのは確かです。

しかし、クラシック音楽という堅苦しい世界をレコードそしてCDと言う革新的な媒体によって、全世界へいっきに拡散させた功績は実に偉大と言えるでしょう。

まさに音楽史に永遠に刻まれる天才的偉業と断言します。



ブルックナー交響曲の特長とは何か?

この交響曲第8番は、何といっても全体に遅めでゆったりしたテンポの方が曲のイメージになじんでいるように思います。

特に終楽章(第4楽章)では、早めのテンポでいっきに終わってしまうような演奏も数多く見受けられます。

しかし、それではブルックナーの重厚な大伽藍が全くかき消されてしまい、あたかも骨細でひょろひょろな骨格になってしまいます。


「いや、そんなことはない!」との熱狂的な信奉者の声が聞こえてきそうです。

がしかし、ブルックナーの交響曲における最たる特徴は何かと聞かれた時に、それは大河の如く流れる宇宙的雄大さであるとの答えに、信者の誰もが異論は無いと思います。

そのような雄大さ・壮大なる印象を音として表現する場合には、やはりテンポ設定はある程度遅くとったほうが最適と思いますし、ブルックナーの場合は特にそうでなければならないと私は常々感じています。

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テンポについて

それでも「楽譜には「早く」と書いてあるではないか!」と言ったこだわりを見せる指揮者が必ず存在しています。

しかし、これにも私は疑問を感じます。

楽譜に記されている【早く】という表示記号は、メトロノームで測ったような機械的な速さを求めているのではなく、あくまでも曲全体の中での相対的な速度を求めているのだと思うのです。


ですので、楽譜に記されているドイツ語表記での【schnel】=「速く」は、せかせかと速めのテンポでいっきに演奏する事とは違う意味合いであると考えます。

特にこの交響曲第8番/終楽章の出だしの部分や一番最後のコーダ部分を、やたらと速いテンポでいっきに演奏するのを聴くとき、「これは断じてブルックナーではない!」との条件反射的な拒否反応が起きてしまう私ですが。。


最近、大阪フィルハーモニー交響楽団のブルックナー8番をテレビで拝見しました。
指揮は大植英次。

氏は、大阪フィル育ての親でありブルックナー指揮者でもあった故朝比奈隆氏の魂をそのまま受け継ぐとして、熱烈な大阪フィルファンの信望を集めているようです。

が、さてその演奏には・・・正直いくつもの疑問が残りました。


終楽章のコーダ部分に至っては、速い速い!早すぎる!
しかも、全体のアンサンブルは著しく乱れてしまい悲惨なまでにバラバラ!アンサンブルどころじゃない。

「本当に勢いだけで終わっちゃった」みたいな演奏なのです。


その演奏後は、お決まりのブラボーで熱演を讃える拍手も大きかったものの、私としては「そんなに熱狂するほどだったの?」そんな大きな疑問が残るブルックナー8番でした。

朝比奈氏の信者の方々は、在りし日の故人の雄姿をだぶらせていたのだと思います。もちろん、気持ちは分かりますよ。

交響曲第8番の名演はこれ!

ようやく本題に入ります。

「ブルックナーの交響曲第8番の名演は?」と聞かれるならば、迷うことなくこれです!

セルジュ・チェリビダッケ指揮のブルックナー


重厚長大、これぞブルックナーの真髄ここにあり。

チェリビダッケの演奏は、大抵の場合、絶賛派と完全否定派に分かれます。

否定派の意見は決まっており、「演奏が間延びしすぎる」「凡長である」「独特の解釈過ぎる」等々ですね。


しかしです、彼らは何一つ分かっていない。チェリのブルックナーは決して間延びなどしておらず、決して凡長でもありません。

独特の解釈ではなくて、チェリビダッケでしか成しえない【孤高の境地に達した演奏】なのです。


氏の持論として、「音楽は体験することでしか理解出来ない」と述べていた事は有名です。

録音後に再生された演奏は、『既に音楽そのものが死んでいる』と言うのです。


私は当初、その意味がなかなか理解出来ませんでした。

しかし・・・チェリビダッケが1993年に来日したおり、東京赤坂のサントリーホールでの演奏会で、遂にその言葉の意味が、脳内だけではなく五感全身を通して理解出来たのです。

それが、下記の大曲「ブルックナーのロマンティック」です。

交響曲第4番『ロマンティック』



ブルックナーの最も特長的な表現である、冒頭からピアニッシモで始まる弦楽器によるトレモロ(弦楽器による細かな刻み)。「原始霧」と称される一種独特な雰囲気を醸し出す音の世界。

これが、まさに圧倒的な衝撃を私に与えました。
とある外来オーケストラの演奏会での事です。

目の前の空気がゆらゆらと揺れているような、全く不思議な感覚に襲われたのです!

眼前の空間が、弦楽器のトレモロによって震えているような、空気が震動しているのがハッキリ見えるような感覚。そこに有名なホルンのソロがまさに完璧な演奏で見えては消え、また見えては消えていく、そんな演奏でした。

空気の振動が「見えたような」ではなく、「まさに見えたのです!!」


この冒頭部分のホルンソロは、ホルン奏者にとっては超難関なテクニックを要する事で有名です。

今まで聴いたブルックナー4番で、当日の演奏ほどに完璧なテクニックとコントロールを持って表現されたのは初めて。私は冒頭の数小節で、もう完全に打ちのめされてしまいました!


その驚異的なるオーケストラは、巨匠チェリビダッケの手兵ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団。

間違いなくミュンヘン・フィルは、ベルリン・フィルと双璧を成す世界超一流のオーケストラである事に確信を持った演奏会でもあったのです。


ブルックナーの交響曲第4番は、演奏時間が1時間を超える大作ですが、曲が始まってからのほんの数小節でもって、今まで体験した事のない「まさに神様が降臨するが如しの空間」を体験しました。

世の中が180度変わってしまうような衝撃的体験。それは神様が降臨するが如しの空間。

大袈裟なようですが、これが一番適切で妥当な表現です。

幻の大指揮者セルジュ・チェリビダッケ氏が言うところの、「音楽は体験することでしか分からない」の意味は、ここにあったのです。

今はこの世を去った偉大なる巨匠の生の演奏会を体験できて、本当に幸せでした。

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