【ブルックナー交響曲第3番】その宗教的な美しさがあまりに神々しい
2019/02/13
これまでにご紹介してきたブルックナーの交響曲第7番と8番。
これらに比べると、3番の交響曲は一般的な知名度や演奏会で取り上げられる頻度は多くはないにしろ、そのブルックナーらしい宗教的な美しさは初期の作品では群を抜いています。
1番や2番の交響曲とは比較にならないほど「ブルックナーらしい」内容なのです。
スポンサーリンク
見出し
ブルックナーを追い返してしまったワーグナー!
ブルックナーの3番はニ短調で書かれています。これは同じくブルックナーの9番やベートーベンの9番合唱付きと同じ調整で、とても厳粛で重々しい雰囲気に包まれます。その厳粛な雰囲気が、この3番交響曲では早くも完成の域に達していると感じます。
よく知られているように、この3番の副題にはワーグナーと名付けられていて、ブルックナーが生前に心底から尊敬していたワーグナーに初演を献呈しています。
献呈とは、作曲家がとある尊敬する人物に作品自体を捧げることを言います。
ちなみに、ワーグナーは、ブルックナーのあまりにも丁重でへりくだった態度がかなり辟易していたらしく、ウンザリだったという逸話が残っているようです。
ブルックナーが書き上げた3番の楽譜を持参してバイロイトのワーグナー宅を訪問した際、ワーグナーの妻であるコジマは、だらしのない格好をした体裁の上がらない風貌のブルックナーを見て「物乞いか浮浪者か」と、とんでもない勘違いをしたと伝えられています。
肝心のワーグナーも多忙を極めていたため早々に追い返してしまったとの逸話が残っており、後で3番のスコア(楽譜)を見たワーグナーは感激と驚きでブルックナーを追いかけ「君はベートーベンの再来だ」といってブルックナーを抱きしめたと言います。
生活面でもブルックナーは、質素で律儀で実直であったことが伺えるエピソードですね。
初演はボロクソ!しかしあの天才作曲家は最後まで聴いていた!
さて、曲が静かに始まるとすぐにトランペットのソロが現れて、その音型がワーグナーの頭文字である「W」の形で動きます。曲の冒頭で既に我が敬愛する大作曲家ワーグナーそのものを表現していて大変興味深いです。このテーマ音型は全楽章を通して常に顔を出してきて、4楽章の最後のクライマックスでは再びトランペットで高らかにワーグナーテーマ!が演奏され、崇高な雰囲気で曲を閉じます。
この3番がブルックナー自身の指揮で初演された際には、客席の聴衆は次第に中途で席を立つ者が続出、最後にはほんのわずかしか聴衆が残らなかったが、その中の1人に、かの大作曲家グスタフ・マーラーがいた事は有名です。
ワーグナー交響曲と言われるこの3番。ブルックナーは数回にわたりスコアを書き直しており、改訂版がいくつか出回る結果となり、その演奏を聞くと「あれ、この部分全然違うんじゃね?」といった箇所がいくつも出てきます。
そうなんです。ブルックナーは、3番に限らず4番、7番、8番あたりを数回書き直しているのです。
それで、指揮者の解釈によって、○○版の楽譜を使って演奏する、という事態になり、聴く側としてはかなり混乱します。
でも、それがまたブルックナーの奥の深い部分でもあり、楽しみでもあったりするわけです。そこまでいくと、完全なマニアですね。
恐るべしブルックナー指揮者!上岡敏之氏
最近、新日本フィルの音楽監督に就任した上岡敏之氏がブルックナーの3番を取り上げている演奏会がテレビ放映されていました。上岡氏は長らくドイツの歌劇場で活躍してきた指揮者だけあって、ブルックナーなどのドイツ音楽はお手の物です。音そのものの構成がしっかりと構築されていて、重厚な作品に仕上がるところは、ブルックナーが得意な指揮者だと推察します。
その指揮ぶりも柔軟さと的確な指示が相まって、見ていて爽快な印象を受けます。
もう一つ大きな特徴として、彼は「目で指揮をする」指揮者だなと思いました。
指揮の基本は、もちろん指揮棒で、あるいは片手で演奏者に指示を出すものですが、上岡氏は常々上目遣いの鋭い視線を演奏者に向けて「さあ、君だよ」と言わんばかりに的確にオケのあちらこちらのパートに指示を出しています。
さすがです。個人的な好みとして、彼のような指揮ぶりは真にもって美しい。
そしてこの演奏会、何よりも驚いたのは終楽章の最後の音が終わったその時。通常であるならば、客席からすぐに拍手が沸き起こる場面ですが、この時は指揮者が両手を天高く振り上げて指揮を終えたままの姿勢で、ずいぶん長い間会場全体が静寂に包まれていました。
客席から長い時間(とは言っても10秒程度ですが)拍手が起こらなかったのです。
これは素晴らしい事であって、大抵の場合何人かのマヌケな「ブラボー」がいきなり発せられて拍手が鳴り出してしまい、残響の余韻を味わうブルックナーの醍醐味がぶち壊しになるのが通例です。
でもこの演奏会では、ブルックナーの宗教的な世界が圧倒的に展開され、最後の音が鳴り響いた後も、ブルックナーの再現された魂と指揮者上岡氏の鬼気迫るオーラが聴衆を魅了したのだろうと推察します。
日本の聴衆も、レベルが上がってきたものです。
聖地ザンクト・フローリアンの神々しい響き
その気持ちは、よく理解出来ます。と言うのも・・以前私が単身ヨーロッパ旅行で、ブルックナーの聖地ザンクト・フローリアン教会で大聖堂のオルガン演奏を聞いた時の衝撃。魂を揺さぶれる音楽とは、まさにこの事でした。
当日のブルックナー演奏会で、拍手が起こらなかったのは、ホール全体にただならぬ波動が漂っていたのだとうと思うのです。
ブルックナーの魂の再現です。それらを再現しせしめた上岡氏と新日本フィルに拍手です。本当にすばらしい。
指揮者上岡敏之は次代を担うマエストロであると確信します。今後の日本の楽壇そして指揮界を担う大物になることは間違いないと見ます。
頑張れ!上岡敏之氏!!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました^^