ロシア5人組たちの名曲が美しい!リムスキー=コルサコフを聴こう
ロシアの有名な作曲家と言えば、まずチャイコフスキーが思い浮かびます。
その他にも、展覧会の絵で有名なムソルグスキーや中央アジアの草原にてのボロディン、はげ山の一夜で有名なリムスキー・コルサコフなど、多くの作曲家が後世に名を残しています。
ロシアという無限なほどに広大に拡がる寒々しい風土が生み出した名曲、とても興味深いです。
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今回は、交響詩『シェエラザード』を作曲したリムスキー=コルサコフを聴いてみましょう。
冒頭すぐに始まるヴァイオリンのソロが、切なくて物悲しくとてもロマンティックなんですよ。
さっそく聴いてみましょう。
リムスキー・コルサコフはロシア五人組の作曲家の一人で、その代表作が今回ご紹介の交響組曲『シェエラザード』です。
この名曲は、ドイツ音楽とは違う、北欧の陰鬱な雰囲気とも違う、ロシア的と言うよりも、どちらかと言えばフランス印象派に近いような感覚だと思います。
とくに第一楽章のヴァイオリンソロや、第三楽章の甘い恋心をうたうような優雅な音楽は、後のラヴェルやドビュッシーを予感させるように感じられます。
「いや、それは違う」というクラシックファンの読者さんもいらっしゃると思いますが・・それはそれで良いのです。
音楽の感想は、どちらが正しいとかいう問題ではありません。
「私はこう感じる」「明るい感じがする」「何だか暗い」
感じ方は人それぞれですし、それでいいのです。
天才肌の彼は、幼少の頃から音楽の才能を発揮したようですが、音楽の道には進まずに海軍兵学校へ進み軍人の道を歩みます。
その中で、ロシア五人組みの一人である作曲家バラキレフと出会ったことが、彼の運命を変えていきます。
バラキレフは、リムスキー・コルサコフに音楽の基礎を教え、また5人組での集団学習が彼の音楽理論を構築していきます。
そして、音楽学校での正式な教育を受けていないにもかかわらず、ペテルブルグ音楽院の教授職に大抜擢されるのです。
バラキレフは、リムスキー・コルサコフに音楽の基礎を教え、また5人組での集団学習が彼の音楽理論を構築していきます。
そして、音楽学校での正式な教育を受けていないにもかかわらず、ペテルブルグ音楽院の教授職に大抜擢されるのです。
当時の閉鎖的な帝政ロシアの時代背景を考えると、これはもう本当に凄い事実です。
指揮者やピアニストで実績があるわけでもなく、作曲家として成功しているのでもない人物が、ロシアを代表する音楽院の教授に指名されるとは!
作曲家としての彼が、いかにずば抜けた才能を持っていたかの証明ですね。
彼の作風は、元海軍の軍人らしく海の描写がよく見受けられます。
たとえば代表作の交響組曲シェエラザードの第一楽章は、『海とシンドバッドの船』との副題があり、第四楽章は『バグダッドの祭り。海。船は青銅の岩がある岩で難破。』とあります。
荒れ狂う海のなかで格闘する船の凄まじい光景が見事に描かれています。
聴いていて、とてもスリリング!
リムスキーコルサコフは、作曲家であり優れた教育者でした。
バレエ音楽『春の祭典』で有名なストラヴィンスキーや、神童の誉れ高かったグラズノフ、数多くの名曲を残したプロコフィエフなど大作曲家を育てています。
交響詩『フィンランディア』や第一番、第二番、第五番の交響曲で有名なフィンランドの大作曲家シベリウスは、リムスキー・コルサコフに教えを請うことを切望していました。
また、ローマ三部作が有名なレスピーギは、若い頃にリムスキーコルサコフに師事しており、フランス印象派の大家であるラヴェルやドビュッシーは、リムスキーの管弦楽法はまさにお手本であるとまで言わしめています。
バレエ音楽『春の祭典』で有名なストラヴィンスキーや、神童の誉れ高かったグラズノフ、数多くの名曲を残したプロコフィエフなど大作曲家を育てています。
交響詩『フィンランディア』や第一番、第二番、第五番の交響曲で有名なフィンランドの大作曲家シベリウスは、リムスキー・コルサコフに教えを請うことを切望していました。
また、ローマ三部作が有名なレスピーギは、若い頃にリムスキーコルサコフに師事しており、フランス印象派の大家であるラヴェルやドビュッシーは、リムスキーの管弦楽法はまさにお手本であるとまで言わしめています。
ちなみに、リムスキーコルサコフの五番目の娘は、音楽院の教授兼作曲家と結婚しており、その作曲家
シテインベルクは後の大作曲家ショスタコーヴィチを世に送り出した優秀な教育者です。
このように音楽史の中身を見てみると、歴史に名を残す大作曲家たちは、それぞれに連綿とつながりを持っていたことが分かります。